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PATAPATAMAMA
パタパタママです
今更ですが・・
5月の事を書き残したいと思います
5月は、ほんまに、ビックリなスタートっ
話すと長ぁぁぁくなるけどしますw
健康だけが、とりえって思ってた
うちのパパさん
3月くらいから調子が悪くて
めったに熱なんて出ないのに高熱

すると
いきなり右足の脛が紫になって
ブツブツが・・・
とりあえず、夜間診療で診てもらうと
「アトピーですね!!」
って、ステロイドの塗り薬をもらってました
数日後には
足が痛い、腕が痛いなど言い出して・・
また、病院に行くと
「更年期ですね!!」
って言われて帰ってきました

痛み止めの薬がきついのか??
寝汗が物凄くて、高熱が出てるのも
わかりにくい状態でした
足の先が痛いとか言い出して
「痛風かも??」ってなって
違う病院にかかったら
「血液検査の結果、身体の中でなにか起こってる
」

そう言われて
病院を紹介されました
すると
原因不明の病気???
免疫疾患??膠原病??
なんて言われたそうです
その時は私もパパに
「頼むわな!家の中に、難病の患者
何人もいなんで
」


「私、それでなくても、恵里のお世話もあるのに・・」
なぁんて、ガンガン言ってました



最終4月の最後の金曜日に帰宅したパパが
しゃがめない感じ

歩くのも少しおかしい??
「大丈夫なん・・」
そう私が声掛けすると
「とりあえず、寝らっ」
って、寝てしまいました
あくる日の朝
現場は行く気だったのに
「やっぱりよぉ行かんわ!!」
って、絶対に口にすることないパパが
その日も1日寝てました
4月30日の日曜日の朝
やっぱり、様子がおかしいので
嫌がってましたが
救急車を呼んで乗せました
看護師の娘も同乗してもらいました
救急車の中では
普通にギャァギャァ喋るパパ
救急車呼んだの間違いやったかな??
そのくらい、元気な感じでした

病院到着後は2日後の予約の時にするはずの
胸のCTを撮ったりしてました
結果は、「肺がもう半分パンクしてるから
肺としての機能果たしてないですね!」
そんな感じの診察結果だったんですが・・・
娘が、「ママ、右手だけ震えてる・・脳もCTとってもらおう」
そう言いだして
先生に無理を言って撮ってもらいました・・・
すると
「脳梗塞のあとかな??僕、専門じゃないから
わからないけど、心配なら今日泊ってくれてもいいし
帰ってもらっても良いですよ!」
と言う結果っ

そう言われて
パパは
「あぁぁぁ、帰ります。明日も仕事あるし・・」
なぁんて呑気な感じで
帰宅する事にしました
家でも、別にそれ以上ひどくなる感じはなく
「ゆっくりしときよぉぉ」
なぁんて、寝かせたんですが・・
あくる日の5月1日
朝、病院から電話が入り
「脳外科へ、すぐ来てください」
って・・・・





病院では、とりあえず、車椅子に・・
そして、診察室に入ると
いきなり言われたこと
「先に、お尋ねします」
「もしもの時、延命治療はしますか?」
って先生・・・
「ん??????」
どういうことなのか、私の頭の中は真っ白でした
先生は
「このままだと、ゴールデンウィーク中に
心臓が止まるかも知れません」
ん?????
こいつ、何言うてん??



そんな感じの私は
「昨日、娘が気付かなかったらわかってないのに・・
そんなんいきなり言われても・・」
そう言うと
「あぁぁ、僕、その日、居てないですからね!!」
やって
そんなこと言うてんちゃうねんっ



「はぁぁぁぁ????

」



てな、無駄なやり取りをしてしまいました

結果、即、入院
それでも、パパは
「先生、ゴールデンウィーク明けにしてよ!」
そう、のんきに言ってました
すると
「ゴールデンウィーク明けやと、もう入院すらできないです!」
やって
そこからは
夜には、病状説明や入院の準備
そして、あくる日の2日は
3日から連休に入るので
なにが原因なのかをダァァァァっと
検査してくれた様です
連休入ると大変と思ってたら
かえって、急いで原因を探してくれたようでした
夜には先生に呼ばれて説明
病状説明には看護師の長男と香世さんに
一緒に聞いてもらいました
心臓の弁に菌が付着して血の塊ができ
それが脳へ飛んでいたようです
たまたま、娘が気付いて脳のCTを撮ったので
見つかったらしくて
病院の先生たちもビックリしてました

ココが原因と分かったので
薬もちゃんと合うのがわかり
治療が始まりました
胸を開く手術も
頭を開く手術もなく
点滴での治療でした
本人は数日間は
何で入院してるのかを何度説明しても
また、同じ質問を先生や看護師さんに
していたらしいです
身体は動くのに、頭は少しボォォォっとしている様で
ナースステーションのそばの病室
そして、いなくなったら分かるようにセンサー
娘や息子に言わせたら
「一番、厄介な患者やな!!」
そんな風に笑えるようになりました
先生からは、初めのうちは
毎日のように電話がありました
出逢ってまだ若いこんな時は
自分たちはいつまでも
当たり前に元気だと
そう、思ってました

心配してくれてる人が
沢山いてたので
とりあえず、なんで???
の入院のお話だけしました
本人は、今
奇跡的に元気ですw
まだまだ、体力などは戻ってませんが
生かしてもらったんやな
そう家族で今でも、時々言います
続きは
また、落ち着いて書きますね!!